レクチャー:「クルド人ディアスポラ:移住を平和の絆にしましょう」/ソホラブ アフマディヤーン

クルド人ディアスポラと関わる私のレクチャーをここに報告いたします。そのレクチャーはPORT Bによって計画されてた『新・東京修学旅行プロジェクト:クルド編』というプロジェクトに用意されて発表されました。

『皆さん!こんにちは。
毎日、さまざまな国から日本国入管のいろんなオフィスにいらっしゃいます。今の段階では国を離れて来日して、日本に滞在していると思います。いろいろな目的で、いろいろな在留資格で、短期とか長期とか。いろいろなご用件でございます。滞在の延長、更新、変更など。それはどういう意味ですか。信仰や文化が違って世界からの民族ほかの異なる国家や異なる文化地域へ移(うつ)り住(す)む事象(じしょう)という意味ではないでしょうか。現在、自分の国、家族、両親、奥さん、ご主人、子供さんなどを離れて日本に滞在しているみたいではないでしょうか。私も同じように、出身が別のところです。日本のつくば市に暮らしている、ソホラブと申します。しかし出身はイランの北西部地方、「オシュナビエー」という小さな町です。イラクとトルコに接していて、住民はクルド人で、かつイスラム教徒です。

こうして自らの体験から生まれた動機を通じて、クルド人とクルド人ディアスポラそしてその平和の絆について話したいと思います。なんで皆さん、海外旅行に行くんですか?よく行きますか?たぶんゴールデンウィークか暇な時間、仕事を休みにする時間は一番いいだと思いませんか。しかし別の異なる旅行もあります。他の国に永住することを目的として、本国を離れること。あるいは強制的に本国を追われること。もし、あなたがそうなったとして、母国に帰れないと分かった場合どうしますか。クルド人ディアスポラも少数民族として本国における戦争、本国の政府から民族浄化、人種差別、思想的弾圧、政治的迫害などの理由によって自国を離れた、あるいは強制的に追(お)われた人々の集団です。
ディアスポラを考えるに当(あ)たって、 第一に「 ディアスポラ」という用語を使って何を議論しようとするのか? という問いがあろう。まず、 この問いから出発する必要がある。ギリシア語で「散(ち)らされている者」を意味し,ユダヤ人でパレスチナ以外の地に移り住んでいた人々をさす。 [ブリタニカ国際大百科事典: 小項目事典. ニチーホウ, 1974]。それで、「 ディアスポラ」 とは、 ある民族集団がもとの土地から離散することを指し、 歴史的に主にユダヤ民族の離散経験について使われてきたが、 今日、国民国家の枠組(わくぐ)みでは捉(とら)えきれない人の移動とそれに伴う社会現象を「 ディアスポラ」 という名で呼ぶ機会が増えてきている。[赤尾光春, 早尾貴紀, 2009]
クルド人とはトルコ・イラク・イラン・シリア等、中東の各国に広くまたがる形で分する、独自の国を持たない世界最大の民族集団と知られている。1970 年代まで合法的な移民の時代だったとすれば、 1980 年代以降は、 非合法な、 あるいは亡命を求めてのヨーロッパ移住の時代といえる。 いくつかの波があるが、 ひとつのピークは1990 年代初頭である。 この時期、 とくにトルコとイラクからの難民が急に増える。 [宮治美江子, 2010]クルド人が亡命を求めてヨーロッパとかアメリカとか日本にも移住したのは?本国の政府によって何回も虐殺された結果に集団で強制的に移住させられるものである。私の体験を元に事例を差し上げます。
1980年にイラン・イラク戦争が始まりました。その直後から、私の故郷、「オシュナヴー」、もふくめてイランの北西部の国境地方に住んでいた人々の命は危険にさらされました。私はその戦争の終わる2 年前、「オシュナヴェー」に生まれました。そのような時代に幼少期を過ごした私は子供ながら、常に戦争の恐怖を感じていました。あらゆることは、理解できませんでした。戦車、軍隊などが次々に近くを通り過ぎるのを見て思っていました。「一体、これらはどこへいくの?何のために行くのかな?」と子供のごろは争いの恐怖の中で暮らしていた。その時代はクルドにとって最も困難な時代の一つとなった。
1987 年6 月28 日イランイラク戦争の最中、イラクのフセイン政権は、イランの北西部国境の町「サルダシュト」を科学爆弾を用いて攻撃しました。その結果、2600 人以上が死亡し、10万人以上が負傷しました。さらに、1988 年3 月16 日、同じくフセイン政権は、イラクのクルディスタン国境地方の「ハラブジャ」という町を攻撃するために、化学兵器を使用しました。その攻撃によって、殉教者は5000 人以上になり、負傷者は1 万人と推定されました。その化学兵器による攻撃の影響に苦しんでいる人々の数は計り知れません。にも関わらず、世界の多くの人々は、その町の名前さえ知らないという事実に驚ろかされます。
それで治安悪化を理由にもともとの居住地を離れドイツ 、フランス、オランダ、ベルギー、ロシア、スイス、デンマーク、オーストリア、ギリシャ、アメリカ、オーストラリアと日本などに離散して、移住するものの数は増加して、さまざまな国でクルド人ディアスポラを作りました。今日、最大のクルド移民の人口を抱える国はドイツであり、約80 万のクルド系住民が居住している。
このデイアスポラの「クルド人」の定義は実は複雑であり、トルコ・イラク・イラン・シリア等で生まれたがその後、ホスト国に移住した人々をさす場合から、 そうした世代の次世代( 第二世代) 及び第三世代のクルド系も含む場合など多様である。
ヨーロッパの自由な環境は、クルド系の移民たちに、 さまざまな文化活動を営みクルド語を学ぶ機会を提供してきたが、 この自由はまた、 ヨーロッパ社会に適応し将来を切り開いていくにはむしろクルド語にこだわらないことを選択するものが少なくないという逆説(ぎゃくせつ)的な結果を生んでいるといえるだろう。
日本クルド文化協会の調べでは、「難民などで構成される在日クルド人は約2000 人。そのうち、6 割強となる1200~1300 人が、川口市や蕨市に住ん でいる」(同協会)。このほか東京や大阪、名古屋など、日本各地の大都市に、在日クルド人のコミュニティーがあるという。近年では、シリア内戦の戦禍を逃れ、日本にきたクルド人難民もいる。JR 蕨駅周辺に数多くのクルド人が居住しているため、故郷のクルディスタンと蕨を掛け合わせ、ネットやメディアなどで「ワラビスタン」と呼ばれるようになった。 [誠之, 2016]
日本のクルド人ディアスポラ状況は他の世界各地のクルド人デイアスポラちょっと違うだと思う。なぜかというと日本の移民制度が違うだろう。
川口市と隣の蕨市に住んでいるトルク出身のクルド人は日本の入国管理局に対して難民申請をしたの数多くいるが難民認定を受けた者はひとりもいない。彼らはさまざまな問題を直面している状況にいる。さまざまな国からやって来る難民申請者に対し、 日本政府の他の国と比べて厳しい。
申請者の出身国を多い順により見ると、トルコ、ミャンマー、パキスタン、中国なる。その間に日本で難民認定されている外国人の数を世界的な流れの中から見ると認定したのがすっごく少ない。
2001年の難民対応状況に関してアムネスティ• インターナショナルの比較的な報告によれば各国の難民認定者の数は、ドイツ約2万3千人、イギリス約1万9千人、アメリカ2万3千人強、カナダ約1万3千、スウェーデン約5千人とある。 同じ年、日本で認定者の数は26人だけである。それで現在日本は「難民」に対してまだ鎖国の状況にあるといわれても仕方がないでしょうか。
また、難民申請者としても日本にずっと住んでいる方々も住居、生活、医療、雇用に対してさまざまな問題に直面されている。これでもケアの制度に対して日本を先進諸国を比べると、日本のそれはまったく良い状況がない。これは日本も国連の難民条約による難民とは、「 人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の保護を受けることができないもの」を批准している状態である。
最後に現地を訪れたり、資料や情報を調べたりしながら、今の日本でクルド人たちに対してさまざまな悪いイイメージがあるなら正直不正確なものでしかない。在日クルド難民たちと出会ってその存在と問題の本質を深くわかるようにしよう。
日本のクルド人ディアスポラのメンバーたちは、本国の民族集団が暴力に直面したときに政治的に動員される。国民国家を持ないため、クルド人は故郷で構造的な暴力を感じている。クルド人 の無国籍性と自らのアイデンティティが脅威にさらされることは、クルド人のディアスポラのアイデンティティ形成に重要な役割を果たす。
集団的アイデンティティは、ディアスポラの社会資本を橋渡しする。 したがって、動員の要請がある場合、共有された社会的アイデンティティとディアスポラ組織やコミュニティーなどは、日本におけるクルド人を動員する。 政治動員は、主に母国の重要な出来事やイベントへの対応として、ディアスポラの政治エリートによって枠組みされて行われる。
クルド人ディアスポラは、クルド人民族主義において重要なアクターである。 この役割は、クルド人の政治運動によって認められているようである。
国境を越えて政治化された活動主義は、クルド人のディアスポラの特徴である。非国家アクターとして在日クルド人も本国やディアスポラの組織を通じて、最初のレベルとして自らのアイデンティティを形成しているようである。そのほかのレベルとして自国、ホスト国や世界機関のクルド人に対しての政策に肯定的な影響を与えるために政治活動に参加する。
移民や亡命希望者といった形で、 日本にせよヨーロッパにせよ、 クルド人コミュニティを持つようになった。かれらディアスポラのクルド人たちは、 各国でロビー活動を展開し、 クルド人問題への理解者を増やし、 欧米諸国のクルド人問題への関心や対応に一定の影響を与えるようにさえなっている。 かれらは、 あらゆる人的• 物的資源やネットワークを行使しながら、そして急速に進む情報革命の恩恵を受けながら、 みずからのアイデンティティを守り、 さらに世界へと発信しようとしている。 こうしたディアスポラのクルド人たちの動きを抜きにしては、 クルド人問題を語ることができなくなったのである。
すでに、「 クルド学」 ( クルドロジー) という言葉は欧州各国、 米国、 ロシア、 オーストラリアなどで重要な立場を得つつあり、 いくつかの大学では正式な研究フィールドとなっているとも聞く。 言語学の分野でのクルド語研究からスタートしたらしいが、 最近は、 もっと広い研究分野として知られているようだ。 しかし、日本は遅れをとっている。 いや、 そんなことより、 そこで今、 日本の中東イスラム研究にも「 クルド学」 という新しい学問ジャンルが存在しないと思う。
日本のクルド人ディアスポラと世界各地のクルド人ディアスポラとの違いは何だろう?在日クルド人を中心とした「ディアスポラにおけるアイデンティティ形成と政治動員について」という私の研究を通じてクルド問題を考えることによってクルド人に対しての日本の政策や外交政治を知り、また、 在日クルド人たちを通して、 日本の入国管理のシステムを知り、 外国人が日本で生活していくことについても理解し、そして日本社会が持つ問題についても知っていく過程を描くものだと言うことができるので、別の世界中のクルド人デイアスポラ研究と違うと言える。
世界人権宣言の第25 条は、全ての人は十分な生活水準を保持する権利を有すると言及しています。ところが、歴史上で、クルド人は、生活水準が守られる以前に、次々と虐殺されていって、そのあとも不安と恐怖の中で戦火を生き抜いてきた。
私はクルド人として、こうして自らの経験を通して平和への道を探したいと思います。人はいつまで友殺しをするのでしょうか。ちょうど今、戦争がないところでも私たちの世界中では、不安と恐怖に満ちた生活を送っている多くの人々がいるのです。平和の意味は「戦争がない」ということけではありません。貧困、勉強ができないこと、食事がちゃんとできないこと、失業により生活苦にさらされることも、戦争と同じような悲惨さと悲しみを人間に与えると思います。
私はクルド人として信仰や文化が違っても世界中の民族間の橋渡しをしようと一生懸命に努めるはずだと思うのです。すべての人間を宗教、諸国、人類や肌の色によって差別してはいけないです私たちは挨拶の時に「サラーム」といいます。そのアラビア語から来た言葉は平和という意味です。もちろん、クルド民族だけではなく各地のあらゆる少数民族それぞれは平和へのメッセージがあるだと思います。
世界平和を実現させるのは難しいかもしれません。、しかし、どんなに難しくても、成功するように全力を尽くさなければなりません。最後に、世界中で戦争の犠牲となった人たちの冥福を祈るよう皆様に呼びかけたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。』

そのツアーの一部として移民と関わるギリシャ悲劇が多言語、クルド語、ペルシャ語、トルコ語、アラビア語、四国出身(イラン、イラク、シリアのクルド人)を参加とともに朗読されました。

 

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